くにたち郷土文化館のブログへようこそ

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◆「くにぶん便り」シリーズ
 当館の四季折々の様子やイベントなどの情報をお届けします。


◆「くにたち、近い昔」シリーズ
不定期で、郷土文化館で所蔵しているちょっと昔の写真を紹介していきます。しかし撮影した場所や年代がわからない写真もあります。掲載している写真について、ご存じの方は情報をお寄せください。

◆「ハグロトンボ調査隊」シリーズ
 当館主催で行っている「ハグロトンボ調査隊」の様子を紹介しています。(調査期間:6月~10月)

2014年4月7日月曜日

中央線北側引き込み線沿いの道 1960(昭和35)年頃

~くにたち、近い昔24~  



中央線北側引き込み線沿いの道 1960(昭和35)年頃     くにたち郷土文化館蔵


 近い昔のくにたち散歩、今回は北地区へ。

 手前の柵に沿って、鉄道技術研究所への引き込み線がありました。ここを使用した列車の出入りに遭遇した方もいらっしゃるのでは。しかしこの引き込み線は、平成16(2004)年には完全に撤去されて、本線への連絡はできなくなってしまいました。

 この写真よく見ると、国立駅の貨物ホームで煙が上がっています。蒸気機関車がいたのでしょうか。
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2014年4月4日金曜日

飛花落葉  -館長机のメモから-







  古人無復洛城東

      今人還対落花風

  年年歳歳花相似

  歳歳年年人不同

 
よく知られた劉希夷の「代悲白頭翁」の一節。

春は、生命が躍動する季節なのですが、古人は有為転変に人の世の無常を感じていたのでしょう。桜花が、雨上りの黒い土の上に、流紋を描くように散っている様は、一幅の絵画のようでもありますが、春の終わりの一抹の寂しさも禁じ得ません。

郷土文化館も、4月から人が入れ替わり、新しい布陣でスタートしました。若い学芸員は不慣れなことも多々あるかと思いますが、みな様とふれあう機会を多く持つようにと話していますので、来館された折には、お気軽にお声をおかけいただければ幸いです。

2014年3月17日月曜日

藤村学園東京女子体育大学 1962(昭和37)年頃

~くにたち、近い昔23~  


藤村学園東京女子体育大学 1962(昭和37)年頃       くにたち郷土文化館蔵

 東京女子体育大学の歴史は、わが国の女子体育の苦闘と発展を象徴しています。学園史をひもとくと、1902(明治35)年の創立期(当時は私立東京女子体操音楽学校)は「女子が体操教師になることを受け入れない社会で…良家の子女が人前でとんだりはねたりするなど言語道断…また、教科としての体操の評価は低く教師の地位も低かった」。そのため同校は、開校後20年の間に11回もの校舎移転を余儀なくされています。(『藤村学園80年のあゆみ』)
 その学校が、吉祥寺から国立町青柳矢川上に移転してきたのは1961(昭和36)年。翌年4月1日に開校しましたが、周囲は写真のとおり一面の畑地でした。
 
 
  
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2014年3月2日日曜日

春遠からじ  -館長机のメモから-



桃の花に早いのに、なぜ「桃の節句」というのか。それは、旧暦の3月3日は、新暦、大体今の4月上旬から中旬頃にあたるからだそうです。雛飾りに、桃の花が添えられるのは、多くは人工栽培か、温暖の地からの到来ものなのでしょう。

 桃の節句は、江戸時代に幕府が次の五つの節日(せつにち)を制定したことに由来します。

人日(じんじつ)   1月7日 … 七草の節供

上巳(じょうし)   3月3日 … 桃の節供

端午(たんご)    5月5日 … 菖蒲の節供

七夕(たなばた)   7月7日 … 笹の節供

重陽(ちょうよう)  9月9日 … 菊の節供

爾来、5月5日の「端午の節句」が男の子の節句、3月3日は女の子の節句として定着していきます。“節句”は本来“節共”で、日本の農耕儀礼において、その節目の日の神前に供えられる供物のことを意味していましたが、室町時代以降に「くぎり」を表す「句」が使われるようになりました。

郷土文化館と古民家では、毎年桃の節句の季節に、ひな人形の展示をしています。古びた人形のかんばせに出会うと、悴む手をこすりながら、今年も春遠からじと思うこのごろです。

2014年2月24日月曜日

梅見月  -館長机のメモから-


伝承庭園の小さな梅の木に近寄れば、梅花の馥郁とした香りがありました。

梅見月がきたのですね。

梅、とくれば、やはり菅原道真公で知られる飛び梅を思い起こします。
菅公ゆかりの天神さまは全国に1万2000社以上あるそうですが、谷保天満宮もその一つです。
江東区の亀戸天神や文京区の湯島天神などと同じく、梅林の美しさに心和むものがあり、
“名所”となっています。

 
 江戸時代、亀戸天神の近くに、「亀戸梅屋舗」という名所がありました。
現在はその痕跡もありませんが、歌川広重の『名所江戸百景』に
「亀戸梅屋舗」の図があるので偲ぶことができます。

広重が描いたこの梅は、「臥龍梅」というのだそうで、ゴッホがこの図を油絵で
模写したことでも知られていますから、どこかでご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。

万葉集に詠われた梅は、古今和歌集の時代に、桜にその名声を譲りましたが、
今も私たちの暮らしを豊かに彩ってくれています。

2014年2月14日金曜日

市制が施行された頃の国立駅 1967(昭和42)年3月

~くにたち、近い昔22~  




市制が施行された頃の国立駅 1967(昭和42)3月    くにたち郷土文化館蔵

国立が、1958(昭和33)年に立川市から打診された合併案を断り、独自に多摩地区で15番目の市制を施行したのは、1967(昭和42)11日。この写真には写っていませんが、円形公園には「祝市制施行」の塔が立てられ、市内を60台の宣伝カーがパレードをしました。美しい国立駅舎も懐かしいですね。

ところで、駅舎の屋根に取り付けられた鎧窓(?)が、
後の時代の写真ではなくなっていることに気付きます。
いつ取り払われたのか、どなたかご存知ではないでしょうか。
 

 
 
 
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2014年2月10日月曜日

水仙に偲ぶ  -館長机のメモから-


 郷土文化館の武蔵野庭園の片隅で、幾株かのスイセンの花を見ながら、
民俗学者の宮本常一氏の故郷、山口県の周防大島で、毎年1月30日に
営まれる「水仙忌」のことが過りました。
島のいたるところにみられるスイセンの花に因むこの日は、氏の命日にあたります。

ノンフィクション作家の佐野眞一氏は、「宮本常一は、ふつう民俗学者として紹介されている。
しかし、宮本が日本列島の上に印したおびただしい業績を展望すれば、
そんな狭苦しいくくりだけでは到底おさまりきれない男だったということがすぐにわかる。」
と紹介しています。

確かに、氏の膨大な著作集に接すると、“忘れられた”人びとの発掘に、
ほとんど半生を捧げているようすを窺うことができます。そこには、
今日の自然と人のありようも考えさせられるような指摘もあります。

『日本人は自然を愛し、自然を大事にしたというけれど、
それは日本でも上流社会に属する一部の、自然に対して
責任を持たぬ人たちの甘えではなかったかと思う。
自然の中に生きた者は自然と格闘しつつ第二次的自然を作り上げていった』(『自然と日本人』)

 庭園のわずかなスイセンから、宮本常一氏のことが偲ばれた午後でした。

2014年1月22日水曜日

春を待つこころ  -館長机のメモから-


丸山薫に『白い自由画』という詩があります。

 
私は子供達に自由画を描かせる
子供達はてんでに絵の具を溶くが
塗る色がなくて 途方に暮れる

ただ まっ白い山の幾重なりと
ただ まっ白い野の起伏と
うっすらした墨色の陰翳の所々に
突刺したような疎林の枝先だけだ

私はその一枚の空を
淡いコバルト色に彩ってやる
そして 誤って まだ濡れている枝間に
ぽとり! と黄色の一と雫を滲ませる

       私はすぐに後悔するが
子供達は却ってよろこぶのだ 
「ああ まんさくの花が咲いた」と
子供達はよろこぶのだ

この詩は、作者が疎開先の山形で教員をしていたころに作られました。
雪深い北国の“仙境”と言われる地で、子どもたちの春を待つ純朴なこころが
沁みてくるようです。まんさくの花は、春に先駆けて「まずさく花」が「まんさく」になったとも。
 
今年は例年になく寒い冬ですが、凛とした空気を肌に感じながらの散策に、
遠い雪国の空と、必ず訪れる光の春を待ち望む人びとを想わずにはいられません。



2014年1月16日木曜日

「むかしのくらし展」がはじまりました。






1月から3月にかけて、市内11校の小学校3年生がむかしのくらしについて
学習をする「民具案内」を郷土文化館で行います。「むかしのくらし展」は、
その「民具案内」に関連し毎年この時期に開催されています。展示室には、
あかりの道具・暖房の道具などを中心に約100点の民具を展示しています。

今、私たちにとって電気はなくてはならないものとなっていますが、
の電気や電化製品がまだ普及していなかった時代、どのようにあかりを灯し、
どのように暖をとっていたでしょうか?

今年のミニコーナーでは「はかり」をテーマに展示しました。
また、廊下の映像コーナーでは、くにたちビデオひろば(1984年)
の映像より「民具調査」の様子をご覧いただけます。高度経済成長期に
日本人の生活が急激に変化していく中、村の古老から聞き取りを行ったり、
民具の調査を行った「くにたちの暮らしを記録する会」の活動の様子を
紹介した貴重な映像です。
 

展示期間

1月11日(土)~3月10日(月)9時~17時(入館は16時30分まで)

2014年1月14日火曜日

~くにたち、近い昔21~  




第14回国民体育大会東京大会大会旗継走 1959(昭和34)10月   くにたち郷土文化館蔵



伊勢湾台風に襲われたこの年は、国体東京大会が開催された年でもあります。
台風の被害が甚大だった愛知県・三重県・岐阜県は秋季大会を欠場し、

旗手だけが入場行進をしました。

この写真は、継走する大会旗が甲州街道を通過するところ。


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